なぜ「小説」にしたのか(佐藤優『元外務省主任分析官・佐田勇の告白』)

 

  『国家の罠』で北方領土交渉と国策捜査の顛末について書いた佐藤優による、現安倍政権における北方領土交渉を題材にして「小説」化したのが本書である。

 『元外務省主任分析官・佐田勇の告白:小説・北方領土交渉』と、副題に「小説」と銘打っているが、本書は一般的な意味での小説ではない。文体は前作の『国家の罠』より少し柔らかめだが、それでもなお、小説を読んだというより論説文を読んだという読後感だ。どうしてわざわざ小説形式にしたのだろう疑問に思って読み進めると、「はじめに」のところに、こう書いてあった。

 

 この頓挫した後の北方領土交渉について、ノンフィクションで書くには、十分な情報が開示がされておらず、また、私が独自に得た機微に触れる情報をすべて披露すると、外交交渉で日本の立場を不利にする可能性がある。外交官であった者は、その後、どのような状況に陥ろうとも、自らが所属する国家の利益のために尽くすべきと私は考える。それだから、ノンフィクションで外交秘密や外交官のプライバシーを暴露するようなことはしない。

 

 要するに、『国家の罠』後の北方領土交渉についてノンフィクションで書くことは、大人の事情でできないと。だから、「小説」に擬制すると。ここでの「小説」とは、作り物、つまりフィクションという意味での小説であって、夏目漱石とか村上春樹とか、そういう類の小説ではないのです。

 

また「小説」という形をとることによって

 

 さらに外務省が持つ独特の文化、内部での陰湿な権力闘争についても、小説という形態をとることでかなり踏み込んだ記述をすることができた。

 

上記のことが可能になったらしい。 例えばP34にはこんな記述がある。

 

佐田が外務省の第一線で勤務していた頃、部下から真顔で「下月を殺したいと思うのですが、どうすればいいですか」と相談を受けたことがある。そのときは、「まあ、そう腹をたてるな。下月にだっていいとこはあるよ。決して悪党じゃないよ。もう少し、上になれば、余裕もでてくるから。どうしても耐えられないのだったら、ちょっと工夫して、下月を上から捻ればいいから、とにかくここは抑えてくれ」となだめた。もっとも今では、「ブタペシュトにいい殺し屋がいるから紹介してやる。中東かトランスコーカサスにでもおびき寄せて、殺せば足がつかないよ」と言って、イスラエルの友人から教えてもらった殺し屋の事務所の電話番号を教えればよかったと、佐田は少し後悔している。

 

 うん、これはもう立派な 殺人教唆ですから、さすがに実名では書けませんよね。それにしても、佐田さんの部下はなんでも(上司を殺したいとか)相談できる先輩がいて、とても羨ましいです。外務省って、とってもアットホームな職場ですね。

 

 ここまで色々書いておいてなんだが、本書がなぜ小説の形をとってきたのか、完全には納得できなかった。人名・名称以外はすべて真実であるかの様に思えるが、やはり部分部分に嘘を混ぜ込んであるのだろうか・・・あるとしたらどこだろうなどと思いを巡らせつつページを繰っていくと、最終章にこんなやりとりがでてきた。

 

「どうやって。外務省の人事に影響をあたえる術があるのか」

「そんなことなんか考えていない。それにあの組織は、例えば森田総理が人事で何か言えば、反発して、その意見だけは絶対に受け入れない。もっと効果的な方法を考えなくてはならない」

「しかし、久山のような、自己保身に固まった小官僚にどうやって影響を与えるのか」

「僕は作家だから、警鈴を鳴らす作品を書く。論文やノンフィクションではなく、小説だ。完全なフィクションで、モデルはいないという形で書く。タイトルは『小説・北方領土交渉』 にする。段階的にシグナルを出す必要があるので、書き下ろしではなく、雑誌に連載することにする。連載のタイトルは『外務省DT物語』にしようと思う」

 

 つまり、この小説はある現役の外交官を威嚇することが目的で書かれていたのだ。だからこの本に込められた真のメッセージはこの外交官にしか読めない。

 

この小説の想定読者は、たった一人だけなんですね( ̄ー ̄)ニヤリ

 

ってことでおしまい。

 

 小説としては、本書より『紳士協定』のほうが面白かったです。

 

(了)