『海辺のカフカ』以降の村上春樹はあんまり好きじゃない

 

 

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

 

 

私見では、村上春樹の小説は海辺のカフカがピーク。
以降の作品では、『アフターダーク』はまあまあ面白かったが、『1Q84』でオヤオヤっと思い、『色彩を持たない~』で頭を抱え、『女のいない男たち』に至っては最後まで読めなかった。
初期の作品は一人称で、だんだんと三人称を使うようになるのだが、海辺のカフカが三人称を使うどうかのちょうど境目だ。
三人称になってから文章の切れ味がなくなったように思える。
 
文章の切れ味がなくなった最大の理由は文体の変化だ。
処女作の『風の歌を聴け』で魅せた、かなり癖があるものの独特の中毒性がある翻訳文体が年々薄くなった。
バタ臭かった翻訳文体が消臭され、中和化され、癖がなくなったのは良いことのように思うかもしれないけれど、
翻訳文体だからこそ許されてきたキザったらしいセリフが、文体の中和化によって、日本語として読むには耐えないものになってしまった。
ちょうど、洋画の吹替ならば自然と耳に入るキザなセリフも、日本人の俳優が真顔で吐いてるのをみると背筋がザワザワすのと同じだ。
 
村上春樹の初期の小説は、日本が舞台だが、日本の匂いがしなかった。
そこが日本だとは読んでいて全く思わなかった。
たとえ実在する地名であろうと、それはあくまで架空の場所であって、僕が住んでいる生活の延長線上では決してなかった。
『女のいない男たち』では彼らが間違いなく実在する日本人のように思え、
日本人の顔をした登場人物がキザったらしいセリフを日本語で吐いている情景が頭に思いうかび、苦しくて最後まで読めなかった。
 
というようなことを、週末に『職業としての小説家』を読みながら考えました。
でもなんだかんだいって村上春樹の最新作は死ぬまで買うと思う。